Swissairの運航停止、この事はスイス国民にとって屈辱と写ったのだろう。
多くの国民がswissair支援しようと募金や署名運動が始まった。
自国のエアラインが無くなるのは信じられないのだろう。特に「スイス」と言うブランドを大切にするスイス人ならではのことだろう。
I Love SRのバッチや「We are swissair」のシール、赤いリボンでswissairを支援表そうと言う運動などなど。
スイス政府としてもSwissair関連産業に職を就いている事からこのまま失業となればスイス経済に与える影響は大きく、これ以上失業者を増やすような失策は避けたい。
そんな中でSwissairを再生させるフェニックスプロジェクトが始動した。運航中のSwissairはCrossairに10/28をもって運航を全て移管し、Swissairは会社を清算すると言う計画。
運航移管までの繋ぎ融資を銀行、自治体、支援企業が行うことで10月4日に運航再開にこぎつけた。
しかし、一方で、政府や銀行などの支援金拠出についての話し合いもスムーズでは無かった。特にフランス語圏の間では、Swissairが存続するメリットは感じられない事から、この際、再生しても収益を上げるのは難しいのだから廃業した方が良いと言う意見も多かった。
一方では、消費税的なswissair taxなる案が出て、そのお金で支援しようと言う話も出たり、国内でも温度差があった。
計画では10/28までに運航移管について短い期間でいろいろな問題が発生した。
近距離は既にCrossairが運航しているので問題無いが、欧州以外の国とでは航空交渉や乗入れ権の問題などでそう簡単に移管するのは難しい状況であった。
そこで、乗入れ権の問題については、長距離線は関係各国の承認が下りるまでSwissairが運航し、短距離線の運航については、直ちにCrossairに移管し、2002年3月31日からのサマースケジュールには、社名をSwiss AirlinesとしたCrossairに引継ぐ方針を決めた。
しかし、この案については2002年3月までの「運航資金の支援の目処」がつくと言う条件付きであった。
その支援についても10月17日までに決定する筈だったが、政府、銀行などの調整が遅れた。このままでは10月27日をもってSwissairは再び運航を停止することになる。
最後の最後まで調整、特に銀行の調整が行われた。
最終的に3月までの運航継続が決定したのはリミットが押し迫った10月23日でした。
10月28日、スイス発の欧州線がCrossairに切り替わった。と言うよりCrossairがSwissairの機材乗務員を使って運航すると言う形なので、一見、Swissairが運航しているように見える。
一方、成田を含む長距離26路線と一部の短距離線はSwissairとして運航が継続され、3月末の統合に向けた準備が着々と進められた。
しかし、その間にも、swissairのメンテナンス会社SR Technicsの経営危機で危なく再び、全航空機の運航が止まりそうになったりと波乱もあった。また、従業員のカットも行われ、海外支店や、外国人乗務員の減員が行われ、日本人客室乗務員は半減、タイとインド人乗務員は全員解雇となるリストラが行われた。
運航停止によりアグリメントも徐々に回復をしていてきたが一度失った顧客を取り戻すの並大抵ではなく、大幅に割り引いたプロモーションを実施したりしたが、同時テロの影響もされことながら、一部の航空会社とのアグリメントが復活しない為、一番収益性の高いのノーマル航空券の利用者が少ない状況になってしまった。
その大変な時期にcrossairが11/24に墜落事故が発生し、一時はこの計画に影響するのではないか?と言うこともあったが、巧みな情報コントロールのお陰で影響されずに計画が進んだ。
進むにつれ、いろんな軋轢も生んだ。Swissairと文化が違うCrossairを一緒にするのであるから当然と言えば当然であるが、例えば本社や運航拠点もにしても、Swissairはチューリッヒ、Crossairはバーゼルに構えている。
給与体系だって異なるわけで一つの会社としてまとめていくのは、かなりの困難があり、交渉もまとまらない日が続いた。
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