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晴のち曇


年が明けた2002年1月15日、形式的にはSwissairとして運航していた欧州線の殆どが、正式にCrossairに移管される事になり、フライトナンバーもLXに変更された。ただ、便名にはコードシェアと言う形で一応SR便名が付いた。
アナウンスも、「ようこそSwissair」では無く、「ようこそCrossair and Swissair」というようになった。また路線によっては機材がエアバスからジャンボリノ(ARJ)に縮小されたりした。

とは言っても全てCrossairが運航するのは不可能のなので、多くのフライトがSwissairからのウェトリースと言う形で運航された。
なので、便名はCrossairなのだが、機材と乗務員はSwissairと言う形になり、乗客の多くは首を傾げていたとか・・・

フェニックス計画も軌道に乗り、2月1日バゼールで、新社名と新しいCIが発表となった。ブランド名が「Swiss」となり社名をSwiss Airlinesとなることになった。
その発表と同時に新しい塗装となった、A320もお披露目された。今回のCIではスイスのエアラインである事を念頭にスイスで使用されている4カ国語による「スイス」と言う表記を機体にデザインされた。
CEOには元KLMのドーズ氏が就任も決まった。

ようやく、大雨の状態から晴れ間がのぞいてきたと言う状況になりつつあったが、新社名について元Swissair側から商標についての使用訴訟問題騒動が持ち上がり、その後社名をSwiss International Air Lines Ltdに変更する事になったりゴタゴタが続いた。
(この時。2レターをSRにすると言う話もあったが、結局2レターはCrossairの”LX”、3レターに旧Swissairの”SWR”を使うことで決着した)

また、欧州のアライアンス「Qualiflyer Group」の解散も決まった。
マイレージサービスは継続するが、アライアンスとしてのQualiflyerは無くなりその後は、各社で他のアライアンス入りを模索する事になった。

Swissも、独自で生き残るのは難しく、メジャーアライアンスのワンワールド、スターアライアンス、スカイチームなどとも交渉を行った。
当初、新ロゴ発表と同時にアライアンス入りの発表も考えていたようだが、それまでに交渉どころか、いままでSwissairとアメリカン(AA)が行っていた提携を復活させる提携発表が精一杯だった。

Swissとしては、AAのとのパイプを使ってワンワールド加盟を目指すことを考えたが、BAが難色をしめいることから加盟まで時間がかかる状況だった。

3月に入り、続々とエアバス機がSwissカラーに塗り替えた機体が姿を現し、着々と準備が進められた。
Swissairとのしての運航も3月30日にSwissairとしてチューリッヒを出発し、その機体がスイスに戻るまでとされた。Swissair最終便になったのは3月31日に南米・ブレノスアイレス発のSR144便であった。

快晴の3月31日、スイス発から全て便名がLX(Swiss)となり、フライトナンバーこそCrossairのLXを使用しているが、コールサインは「Swiss」に変更され新たな歴史が幕を開けた。(余談ではあるが、この日コールサインが変更された為、管制官や乗務員が今までの習慣で間違えてSwissairやCrossairのコールサインを使う場面も見られた)

ようやく新生Swissとして歩みだした。
しかし、CrossairとSwissairが一つのブランドに統合された形なので、まだまだ一体感に欠け、組合交渉もくすぶり続けていた。
ようやく飛び出したもの直ぐに空行きが怪しくなってきたのです。

>>再出発
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なお、Swiss International Airlinesの商標については同社に帰属します。